AI時代の音楽とライブの意味

このあいだ落合陽一さんのYouTubeで実際にやってみせていたのだけれど、これからAIが発達してくると60分の曲が10秒くらいでできちゃってて、聴きながら気に入らなければキーワードや歌詞やパラメータいじればいくらでもその場で変化進化していくって時代になるというかなっている。しかもそういう曲を作るオープンソースもマジで秒単位で変化進化していて、聞いているうちに変わっていくし、明日にはぜんぜん違うアプローチからの作曲ツールができていたりするというかできている。

シンギュラリティって「コンピュータが人間の知能を超えて人間はコンピュータに支配される」とかなんかそんなSFっぽい論調で語られることが多いですが、そうではなくて単に「コンピュータの進化スピードに人間がもう到底追いつけなくなる」ということです。というかすでにそうなってきてる分野もあります。研究者がどんなに一生懸命調査・研究してすばらしい論文書いても、同じ時間でコンピュータがその1000倍くらいの成果を出していたらもう研究者いらなくないっすか? 論文だって人間が1年かかって書くものをAIなら1分で書くとか。動画とっておけばそこから普通に何冊も本ができるとか。そういう時代がマジでもう近いということです。もちろん国や環境などによってそれが日常になるにはかなりの格差があると思いますが。

そんな流れなのでいわゆるCDとかのインタラクティブにいじれない静的作品としての音楽は価値が下がっていくと思いますが、落合陽一さんも言ってましたが「ライブは別」という意見は強いみたいです。それはライブの持つリアル性、双方向性、インタラクティブ性、偶発性、ハプニング性、などなどある意味AIでもカバーできない側面を多々持っているからという理由らしいです。たぶんにそこにメタバースがからんでくるとあるライブに参加している世界中の人々が寄ってたかってあたらしい音楽を作り出していく世界とかもあるのかなと想像したりもする。

個人的にDTMで音楽を作っていくということはまだまだ手探りで始めたばかりで、自分のセンスのなさとかに打ちのめされていたりするが、それって楽器を手にバンドやっているときとそれほど変わってないわけで、それよりも上で書いたこれからの音楽の流れを考えると、楽器やるとかバンドやるとかライブやるとかって今までとはまったく別の意味・価値・表現を持っていくのだと思う。

ひさびさのライブの出来に落ち込んでいる場合ではないのだ。←引きずってる


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